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対談 喜多 俊之氏×チェーザレ・マリア・カザッティ氏 デザインはどこへ向かうのか<上> ミラノサローネの歴史 展示館1館からスタート 街ぐるみのイベントに

ミラノのカフェで語り合うカザッティ氏と喜多氏

 日本のデザインはどこへ向かおうとしているのか。イタリアと日本を行き来しながら、プロダクトデザインの新境地を切り開いているデザイナーの喜多俊之氏とイタリアの建築デザイン誌「ラルカ」編集長のチェーザレ・マリア・カザッティ氏がミラノで語り合った。

イタリア企業の誘致を
 喜多 今年のミラノサローネ国際家具見本市(ミラノサローネ)も盛況でしたね。たくさんの来場者でにぎわっていました。昔のサローネは、いい製品もあればクオリティーの低いものもありましたが、今はどれもクオリティーが高いですね。
 カザッティ 今年のサローネの会場は、これまで以上に中国からの来場者が多かったですね。イタリアからすべてを買い取るかのような勢いをみせています。
 喜多 今、世界の市場の勢力図が変わりつつありますね。
 カザッティ 中国の人口は15億人、そのうち3億人が富裕層と言われています。3億人というと、ほぼヨーロッパの国すべてを合わせた人口です。それが全員お金持ちと考えただけで、その規模が想像できるでしょう。
 喜多 大阪でリビング&デザインというインテリアの国際見本市をプロデュースしています。もう10年になりますが、年々レベルが上がってきています。
 カザッティ 見本市を成長させるためには何が必要か、そこを理解する必要があります。ミラノサローネの運営組織は当初、カッシーナほか15社くらいの業界企業で構成され、その企業たちが主人公でした。最初の10?15年くらいは、拡大はしましたが、飛躍的とまでいえるものではありませんでした。なぜなら競争を忌避して海外からの参加を積極的に求めなかったからです。これだけ海外からの参加が爆発的に増えたのは、ここ5、6年のことです。
 おそらく日本でも同じだと思います。考えるべきは、この際、なんらかの方法で進んだイタリア企業も誘致することだと思います。
10万人の外国人が来場
 喜多 カザッティさんは、ミラノサローネの誕生から語れる数少ないジャーナリストの一人だと思います。ミラノサローネは、どのようにして生まれ、どうしてここまで大きなイベントになったか、お話しいただけますか。
 カザッティ ミラノサローネは、本当に小さなイベントから始まりました。誕生は1961年。木工協会の代表を務めていたアルメッリーニ(Tito Almellini)の発案でした。私は当時すでに雑誌「ドムス」の編集の仕事をしていて、優れた製品をもつ優良企業を紹介したりしていました。当時、欧州には2つの家具見本市がありました。一つは家庭用装飾品を中心としたパリ、もう一つは家具インテリアのケルンでした。イタリアの家具メーカーが出展する見本市はこの二つに限られていました。そこで、アルメッリーニは、ミラノでも見本市を開催しようと考えたわけです。
 現在は地下鉄が延長されて郊外のロー地区にある新会場に移りましたが、かつてはミラノ市内の会場で、最初はその展示館1館のみを使っていました。その後、開催するごとに3館、4館と会場が増え、4、5年後にはリノベーションを中心とした家庭生活のブームと共に結構な規模の見本市に成長していました。
 私が「ドムス」誌で仕事したのは1960~79年(76~79年の4年間は編集長)の19年間で、その後、建築とデザインの雑誌「ラルカ」を創刊しましたが、ミラノサローネはドムス時代から一貫して支援してきました。サローネが発展・成功したのは、過去15年近くにわたって雑誌「インテルニ」が、サローネと並行して市内で開催されるイベントを「フオーリサローネ」として組織化したからです。このフオーリサローネも、最初はささやかなサローネ関連イベントでしたが、今では大学からお城まで展示会場として使い、ミラノの街全体を巻き込むほどの規模になっています。
 今年のサローネ期間中は40万人近くが訪れましたが、そのうち3人に1人が外国人。つまり、10万人以上の外国人がこの時期にミラノを訪れるのです。人口140万人、郊外の町を含めても300万人という小さな都市にこれだけの人が集まるのは、世界でも極めて珍しいことです。イタリアの企業にとっても、非常に良い結果をもたらしています。(続く)

※この対談が掲載される喜多俊之氏の本「居住空間再生論」(仮題)は、今秋、家具新聞社から発行の予定です。

【プロフィル】
 きた・としゆき 1969年よりイタリアと日本でデザインの制作活動を開始。作品の多くがニューヨーク近代美術館など世界のミュージアムに永久収蔵されている。2011年、イタリア「黄金コンパス賞(国際功労賞)」受賞。

 チェーザレ・マリア・カザッティ イタリアの専門誌「Domus」の編集チーフを経て「l'ARCA」のディレクターに就く。自らの建築設計事務所をミラノで経営するほか、多くのデザインや建築の国際的コンペの審査委員を歴任している。

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