ニュース2025.12.22
手作り家具工房日本の匠(福岡県大木町、森田英友社長)は10月24日、家具産地・大川の木工所としては初めてFSC認証を取得した。今後はFSCのサプライチェーンを強固にして、国産材による製品開発を行う。さらに2050年には輸出を柱とする会社を目指す。同社のショールームと工房を訪ね、代表取締役社長の森田英友さん(44)にFSC取得の意味と日本の森を考えた目指すべき未来について聞いた。
植樹活動で仲間たちとの絆
福岡・大川家具工業会地域材開発部会の植樹活動を通じて知り合った仲間との縁」と同部会長を務める森田さんは話す。
「こんなに険しい山で林業をやっている皆さんは、木を伐ったり植えたりしていたのか」。2018年から同部会の活動に携わるようになって初めて林業の現状と課題を考えるようになった。
森田さんは、2012年に手作り家具工房日本の匠を立ち上げた。ネットショップ「KAGÜCÖC
Ö」を通じて、食器棚のセミオーダーからコースターまで販売している。ファブレスだった同社は昨年、森田さんの父親が家具メーカーを創業した地に工房を構えた。従業員は30人弱。これまで納品した数は延べ20万世帯を超えるという。
「課題を解消するのがビジネスだと思っています。豊かな暮らし、心地よい暮らしのために、さまざまなお客さまに向けた課題解消やサービス提供に重点を置いて仕事をしてきました。植樹活動を行うようになって初めて川上の課題を自分事として考えるようになりました。自分たちのもっと手前に、本当は生産者がいるという当たり前のことにそれまで全く気づいていなかったのです」
植樹活動を通じてつながった仲間たちの課題を解決するために「日本の木材の付加価値を高めて製品にしたい」という思いが今回のFSC取得へとつながっていく。
地域材使った製品の開発に向けて始動
「林業家の課題は日本全体の大きな課題でもあります。調達も加工も全部国産にすると当然コストがかかる。海外の人件費が安いところで作れば安く売れることは自明のことだが、そうではないところをしっかりと研究、探求していこうと思った」
エシカル消費層に向けて国産材の食器棚やテレビボードを作ってみたが、価格が高くなってしまって売れなかった。ブランド構築について研究を重ねた末に「2050年には輸出を柱とする会社にする」という大きな目標を目指すことを決意した。
「大川では海外で生産して輸入しているところはあるが、輸出ビジネスで成功しているところはほとんどありません。そこを切り開いていこうと思いました。さまざまな技術、技能、デザイン、そして情緒的な背景など全て編集して商品に落とし込むためにFSCは絶対に欠かせないと思いました」。認証に向けて動き出したのは今年1月、短い期間で取得に至った。
FSC国際事務局によると2025年11月時点で、世界1億7000万㌶以上の森林が森林管理(FM)認証され、加工・流通過程の管理(CoC)認証は6万8500件を超えている。国内では、同時点でCoC認証の取得件数が2249件となっている。家具関連の取得数は11月20日現在で134件となっている。
「10年後に回収できるから今やるんだ」
「社長の強いリーダーシップでここまで進むことができました」と話すのは、同社の総務、人事、労務、経理を担う管理グループの江﨑賢司さん。森田さんも書類の管理能力に信頼を置いている。その江﨑さんも当初は現在の規模の会社で「いまFSCが必要ですか」と社長にただした。
毎年かかる認証費用、売り上げに応じた課金もある。「本当にFSCが必要なのか」「コストがかかり過ぎる」「それで会社がどうなるのか」という厳しい意見もあった。森田さんは「10年後に回収できるから今やるんだ」と未来を見据えた強い決意を貫いた。
温暖化など深刻化する地球環境問題、SDGs、将来的な利益や価値を生み出すことを目的に計画的に効果的にお金を使う「ワイズペンディング(賢い支出)」…森林の持続可能性を考えたFSCが輸出に欠かせなくなるという実感があった。「今を作ってくれているのは、今働いてくれている人たち。僕がやらなければいけないのは、情報を集めて意思決定の精度を高めること。あとはもう、未来を形づくるしかない」。
一方で、ほとんどの日本企業は当然のこととしている児童労働禁止を就業規則に明文化するなど、世界基準の「中核的労働要求事項」に適応しなければならない。こうした書類をそろえる煩雑さもあった。江﨑さんは「見積もり、納品、発注、支払い、最初から最後までトレーサビリティが行えるという状況を作っていった」という。
木材仕入れ先の中村製材所がFSC認証を既に取得していたことも追い風となった。「FSCのアライアンスを組むことで会社を大きくしていきたい」という思いを森田さんは実行に移していった。
福岡・大川家具工業会の地域材開発部会がセンダンの植樹を行っている宮崎県諸塚村は2004年にFSC認証を取得している。森田さんは、山の仲間たちと夜に食事をしながら「いつか世界に出ていきたいよね」と夢を語りあった。そして今、川上、川中、川下の手作り家具工房日本の匠がFSCでつながった。「夢を現実にするために、手段として絶対にFSCを取らなければいけなかったということですね」。アジアに向けたブランド構築と輸出への第1歩を踏み出した。
工房フル稼働
工場長は丁稚奉公からたたきあげ
社長がほれ込み一心同体に
手作り家具工房日本の匠は昨年8月、優れた技能を持つカツキ木工別注家具の食器棚製造事業を承継して、森田さんの父親の操業の地で工房を立ち上げた。現在は食器棚の製造を中心に稼働しているが、すでにFSC認証の地域材を使ったダイニングテーブルなどの試作が行われている。
父親の会社は、かつて食器棚などの製造で年商6億円を上げたこともある。その工場操業の地で新たに稼働した工房は、工場長の香月敏郎さん(85)を中心とした技術承継の場でもある。
香月さんは中学卒業後に個人の工房に丁稚奉公して家具づくりの修行の道に入った。給料なしの住み込みで、最初は家の掃除や子守りなど家事手伝いから始まった。やがて家具を作らせてもらえるようになり、婚礼家具全盛期を迎え「もう作っても作っても仕事が終わらない時代だった。夜中の零時まで残業してました」と振り返る。
当時の職人は、いまで言うとフリーランスの身で経験を積んだ。さまざまな家具の工房を渡り歩き、食器棚やたんす一棹(さお)当たりの給金で仕事を賄って深夜まで働き、腕を磨いた時代だった。
技術承継のモデルに
1982年に独立してカツキ木工を創業した。香月さんが42歳の時だった。卓越した技術で信頼を得て、大手の会社から別注家具を受注するようになった。87年から息子の進さんと二人で仕事を回した。進さんは、父親の姿を見ながら技術を習得していった。
森田さんとの出会いは2012年。当時、森田さんの父親の会社で企画・製造していた食器棚「ビアンコ」の製造委託先を探していた。「ビアンコ」は、サイズや素材を選べるセミオーダーのヒット商品だった。たんすはやがて住宅メーカーに組み込まれることを予測した父親は、セミオーダーの食器棚に活路を見いだした。広さが限られる日本の住宅と、キッチンのデザインに合わせられる食器棚を作ろうと父親が発案したのが「ビアンコ」だった。父親の会社から独立した森田さんは「ビアンコ」の販売を手掛け、いまもそれを継承して作り続けている。
「大量生産にかじを切った父親がビアンコの生産を止めると言い出して困っていた頃に香月さんと出会い、抜群に腕が良くてほれこみました」と森田さんは語った。「年齢的に生産数も落ちてきて、森田さんに相談して一緒にやるのが一番いいと思った」と香月さん。森田さんは「事業承継の1番わかりやすいモデルだと思います」と話す。
「カツキ木工と日本の匠は、いくらパートナーと言っても、組織が違い、考え方も違っていました。今一緒になって、無理を言うことも結構あります。ただその分、逆に私も自分にプレッシャーをかけて、どうやってこの工場を再興できるかということを本気で考えています。このビジネスモデルは全国にも波及できると思っています」
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