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★【飛騨の家具フェスティバル】いかに世界に発信するか、地域の木材を利用するか 田中高山市長と中村市会議員を迎えてオープニングトーク

左から岡田氏、田中氏、中村氏、白川氏
田中 明氏


登壇者
田中 明氏(高山市長)
白川 勝規氏(協同組合 飛騨木工連合会 代表理事)
中村 匠郎氏(高山市会議員)
岡田 明子氏(飛騨の家具フェスティバル 企画委員長)


 飛騨の家具フェスティバル開催初日の10月19日、高山市長の田中明氏らを迎えたトークショーが飛騨・世界生活文化センターで開催された。このオープニングを皮切りにフェスティバルの開催期間中、連日トークショーが同センターで繰り広げられた。

くれ材と飛騨の家具が持つ「心の豊かさ」
 オープニングトークではまず、飛騨の家具フェスティバル企画委員長の岡田明子氏(飛驒産業社長)が、フェスティバルの主催者である飛騨木工連合会の成り立ちと今回のテーマ「心の豊かさ」について紹介した。
 同連合会の設立は1950年4月1日、現在の組合員数は25事業所。組合員の資格は、組合の地区内に事業所を有すること、木製品の製造、加工を行うもの、並びにこれに関連する事業を営むものとなっている。
 今年で74回目を迎えた飛騨の家具フェスティバルは1951年に始まり、「木と暮らしの祭典」から現在のイベント名称に変わった。
 今年のテーマ「心の豊かさ」は、飛騨デザイン憲章の第3条に定められているもので「最も抽象的で深掘りしがいがあるテーマ」という。どのように展開するか悩む中で出合ったのが昭和初期、トタン屋根が普及するまで屋根葺(ふ)き素材として使われていた「くれ材」だった。今回のテーマブースは、くれ材を壁面に使って会場中央に配置された。
 きっかけは伝統技術の伝承に取り組む一般社団法人技の環からの提案だった。「くれの技術を継承していくんだという、強い思いを語ってくれた。その中で感じたのは、くれと飛騨の家具は一見、別物の素材だが、地元にある材料を独自の技術で加工して、それを生活の中で生かしていくという共通点があると思った」と岡田氏。
 飛騨の土地で培われたくれへぎ技術が今、継承の危機に瀕している。そこで「飛騨の家具フェスティバルで展示して紹介していくことは意義があり、現代の飛騨の家具と飛騨の土地や風土、文化をつなぐ1つの架け橋になるのではないかと感じて、テーマブースに採用することを決めた」という。飛騨の広葉樹活用事業などを展開する飛騨の森でクマは踊る(ヒダクマ)が担当して、石原愛美氏(プフ設計)、大竹絢子氏(ソヂ)両建築士とのコラボレーションによって設計された。
 石原、大竹両氏が、くれ材が使われている高山陣屋を見て提案したのは「微差」だった。「くれは屋根を葺くために統一された規格の素材。それを遠くで眺めると整然と丹静な印象を与える一方で、木を割って作るプロセスによって、道管がはっきりと残り、1枚1枚の中に豊かな個性が見える。統一された企画の素材でありながら、ミクロの視点で眺めると、その微差、 微妙な差によって豊かな個性が見えてくる。そんな魅力をくれという素材から抽出して、私たちの目の前に差し出してくれた」と説明した。さらにその着眼点を生かして「飛騨の家具」のブランドをみても面白いと思ったという。
 「飛騨の家具というブランドは、先人たちの努力でこれまで世の中に浸透して、飛騨の地で作られている良質で長く使える家具という印象を持たれている方が多いと思う。一方で、実際に飛騨の地に来ていただいて飛騨木工連合会をミクロの視点で眺めてみると、25社が集まっていて、実際に現場に足を運んで製造工程や働く人々、商品のディテールを眺めていただくと、それぞれの豊かな個性が見えてくる。そんなところに、くれを眺める視点が引っかかると思った」。くれと飛騨の家具に共通する『心の豊かさ』を表すものとして、今回のテーマブースの実現に至った。
 現在の飛騨の家具の年間出荷額は約160億円。豊かなバリエーションを持った企業が集まって出荷している。「その中に宿る豊かさは、それぞれ違うと思う。実際に現地に来ていただいて、感じて、豊かさにつなげてほしい」と思いを語った。
 テーマブースは、高山陣屋に保存されている「くれ材」約600枚が使われ、2方に配置。残りの2方に配置された什器には、飛騨木工連合会の8社が提供した家具の脚部50本以上を使い、天板を乗せて「飛騨つくり手市」や飛騨古川にあるヒダクマ「FabCafe(ファブカフェ)」サテライトショップのコーナーを形作っていた。くれの壁面は、宮大工で日本伝統建築技術保存会認定技術者でもある高山市の川上舟晴氏(こうこう舎代表)が製作した。

旭川との違いと飛騨の特長
 オープニングトークショーの登壇者はすべて家具産地の旭川を視察したことで共通している。その違いも交えて、まずミクロとマクロの視点から飛騨の家具について語り合った。
 飛騨木工連合会代表理事の白川勝規氏(シラカワ会長)は、両産地の国産材利用について語った。旭川家具工業協同組合の国産材の利用比率は既に6割を超えている。「飛騨高山には材料はあるが、なかなか使えないというジレンマの中で家具作りをしており、市長と岐阜県にもお願いしながら徐々に国産材利用を進めている。材料の面で言えば、旭川になんとか追いついていけるようにしたいと思うが、その辺りがネックになっている」と話した。
 高山市長の田中明氏は「旭川の場合は、製材所がしっかりあって、(サプライチェーンの)流れがしっかりしている。高山は中間の製材所が弱い部分」と話した。
 高山市会議員の中村匠郎氏は飛騨と旭川の違いについて「旭川は北海道の真ん中にあり、広大な森林がある中で、いかに豊かに暮らしていくかというところがデザインのキーワードになっていると思う。一方で高山は山々に囲まれ、何を持ってくるにも苦労する。身の回りにあるものをどのように生かしていくかというところで、曲げ木の技術や、木を余すことなく使って家具を作っている。そういった技術と地理的条件も相まって作られてきたのが飛騨の家具だと勝手に素人ながらに感じている」と話した。

飛騨から世界に発信していくために
 次に、飛騨から世界に家具とデザインを発信していくために、これから何を強化すべきか話が進んだ。
 コロナ禍を経て、いま高山に国内外からも多くの観光客が訪れている。田中氏は「おもてなしをして喜んでいただいて、またそれを見て喜ぶという好循環がある。それは飛騨高山のDNAでもある。その強みをどうやって世界に発信していくか。その一つが私は飛騨の家具だと思う。たくさんの人たちが飛騨に訪れる中、飛騨の風土や風習、人々の暮らしの中で断然とした地位にあり、家具の果たす役割について物語として提供している。それを手に取って購入していただくことにつなげる今はいい機会だと思う」と話した。
 中村氏も「中山間地にもかかわらず、コロナ前で年間470万人お見えになるのは、ほかの地方都市と比べて強みになっている。高山市政記念館の椅子展にも多くの外国人客が訪れ、その場で買っていた」と観光地として世界につながることができるメリットを挙げた。中村氏は市議会の産業建設委員会で「木の街づくり」の政策提言に向けて準備を進めていることを明かした。
 白川氏は2008年、ドイツのケルンで開催された家具見本市に出展した時に来場者から「品質は世界トップレベルにあることは認めるが、森林大国にもかかわらず、なぜ米国産材で作ったものをわれわれに売るのか」と疑問を投げかけられたエピソードを挙げて「石破総理に代わって国を守ると言われているが、国を守るとは生活を守ること。外から入ってくるものだけに頼っていては生活していけなくなる。自分たちが生活を守るためのサイクルを作っていただいて、住みよい、住んでみたい高山市にしていただきたい。これだけ言いたくてここに出てきた」と訴えた。
 田中市長は、高山市が2200平方キロメートルの広い市域を持つことを「強みにもっていった方がいいのかなという気がする。行政サービスとしては効率が悪い部分が出てくるが、小水力発電の活用なども含めて地域の方々と一緒に5年、10年先を考えてやっていくという発想や思い、方針はあるのかなと思う」と話した。
 中村氏は「いかに地域内で物事を循環させるか。中山間地にある高山市は、物資を持ってくるのに苦労してきた歴史的背景から、自分たちの身の回りにあるものを生かすことは、非常に親和性の高い考え方。一方で、適宜必要なものは、外と連携することが必要だと思う」と意見を述べた。
 最後に岡田氏は「飛騨のまちづくりを通して、飛騨の家具が世界に発信できるような魅力を持てるような形に持っていきたい」と締めくくった。

白川 勝規氏
中村 匠郎氏
岡田 明子氏

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