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★【飛騨産業 これからの100年 ㊤】 飛騨を木工の聖地に 志と4つの価値観で未来をひらく 飛騨産業社長・岡田贊三氏に聞く

岡田社長。100周年記念事業を展示したIFFT/インテリア・ライフスタイル・リビング会場で
コーポレートメッセージの世界観を伝える統一的なビジュアルを制作した

 1920(大正9)年、飛騨産業の前身である中央木工が創業、地元のブナを使って曲木の家具を作るという新しい産業を立ち上げた。日本の家具作りが輸入材に頼るようになったころに同社は、スギの圧縮技術を開発するという新しい事業に挑戦した。2020年に創業100周年の節目を迎えるにあたって、建築家・隈研吾氏デザインによる「KUMAHIDA(クマヒダ)」を開発、「人を想(おも)う 時を継ぐ 技を磨く 森と歩む」の4つの価値観と次の100年に向けて「飛騨を木工の聖地にする」という「志」を打ち出し、ロゴを刷新するなど次々と記念事業を行ってきた。その全容と「これからの100年」への思いを岡田贊三社長のインタビューとともに紹介する。

「原点受け継ぐ」 若手社員が議論

 ――これからの100年、岡田社長が次世代に託す思いをお聞きしたいと思います。
 今回、社史を発行するにあたっていろいろな資料を引き出してみました。100年という歴史を振り返って思うのは、本当に血の出るような努力があって今日があるということです。その原点にあったものを、われわれは引き継いでいかないといけないと思っています。
 山奥のこの地で産業を興し、それを世界に発信していったのは、やはり飛騨人の匠としての心というか、そういうものがあったのだろうと思うのです。われわれはそれを引き継いで、次の100年に向かってしっかりと礎を築き、進めていきたいと強く思っているところです。
 ――昨年迎えた100周年の節目に、事業や開発方針、社員の行動指針などについて「人を想う 時を継ぐ 技を磨く 森と歩む」の4つの価値観として考え方をまとめられました。コーポレートアイデンティティー(CI)の刷新や、社内ブランディング活動の根底にあるのが、その飛騨産業の原点であり、存在理由ということですね。
 過去を振り返った時に飛騨産業は何をしてきたのか、何を大切にしてきたのかということを洗い出し、その根底にあったのが、この4つの価値観でした。これが私たちの目指すところであり、しっかりと言語化して次の100年に向かっていこうということを全社員との対話会を繰り返し、周知浸透させてきました。
 飛騨産業という社名は「飛騨の産業なんだ。われわれは、世界に発信していくべきだ」ということで行ったのがロゴの刷新です。「飛騨」を大切にして、心の中にしっかりと位置付けていこうということで新しいロゴを「HIDA」としました。
 ――こうしたCI刷新の過程には、どのような議論があったのでしょうか。
 私は議論には入れてもらえなかったのですよ(笑)。社内でブランディングプロジェクトというものができまして、岡田明子常務がつくったのですが、そこで若い社員たちが喧々囂々(けんけんごうごう)と議論を交わし、私がこれまで伝えてきたこと、飛騨産業の先人たちがやってきたことを突き詰めた結果、まとまったのがこの4つの価値観です。その報告をもらった時、私の思いがしっかりと言語化されていて、とても頼もしく思いました。

飛騨を世界へ発信するために/

 ――さらに今年になって飛騨産業の「志」として「匠の心と技をもって飛騨を木工の聖地とする」ことを宣言しました。
 この「志」も、ブランディングプロジェクトの議論の過程で「世の中に飛騨を発信する会社になりたい」というみんなの思いから生まれたものです。飛騨には「飛騨の匠」という大変貴重な伝統があるわけですから、その匠の志を私たちが受け継いでいかなければならない。そのためには、飛騨は木工の聖地であるべきだろう―ということです。聖地というと大げさに聞こえるかもしれませんが、これも若手社員たちの議論の中から出てきたものです。重い言葉ではなくイメージとして「聖地」と言うのもいいのかなと思います。
 ――世界への広がりがある言葉でもありますね。
 まさにそうした思いですね。イタリアのデザインの巨匠であるエンツォ・マーリ氏とコラボレーションしたことがあったのですが、その時に何度も飛騨までいらしてくれました。当時「イタリアの頭脳が流出する」という記事が現地で流れたのですが、それに対してマーリ氏は「世界で初めて本物の家具を作っている工場を見つけた。だから14時間かけてその工場に出勤しているんだ」とおっしゃってくれたんです。とてもうれしく、心を大きく揺さぶる言葉でした。私はその言葉通り、世界に認められるように努力しようと思いました。
 ――飛騨産業のホームページに岡田社長と明子常務の対談が掲載されています。その中で印象に残ったのが「再建するために、この20年、無我夢中で駆け抜けてきました。そしてようやく、水の底まで沈みかけていた会社が水面に顔を出した。私の役割はここまでです。ここから先、その形を整えていくのは次の世代の仕事。飛騨産業はこれからです」という言葉でした。次世代に託すものとは。
 「飛騨を木工の聖地にする」という志と4つの価値観をしっかりと持っていけば、飛騨産業は続いていくと思っています。祖父がこの会社の創業に関わったという縁もありまして、私が飛騨産業を引き継いだのは、ちょうど20年前でした。瀕死(ひんし)の状態だったその時に私が思ったのは、飛騨産業は、飛騨の人たちに残さないといけない重要な会社だということです。とにかく死に物狂いでこの会社を立て直そうとやってきました。
 会社に入った時によく分かったのは、社員たちが「いいものを作ろう」という非常に高い誇りを持っていることでした。営業先でも「飛騨産業さんの家具がないと困るから頑張ってね」ということを言われたことも励みになり、心を強くしてこの会社を残さないといけないと思いました。皆さまの支えと、社員の頑張りがあって今日、なんとか一人前の会社になれたと思います。これからは、次の世代に委ね、打ち出した方向性がしっかりと定着するのを見守っていきたいと思います。社員も育ち、任せられる人がたくさん出てきています。「志」と4つの価値観に気持ちを集中させれば、社員が一つになって次の100年もよくなると確信しています。
※次号12月1日号は、岡田明子常務のインタビューを掲載します。

飛騨産業の100周年記念事業
第1弾(2019.9.3) 建築家・隈研吾氏とのコラボモデル「クマヒダ」を発表
第2弾(2020.10.23)創業当時の製品カタログから「第7號椅子」を復刻
第3弾(2020.10.23)染色家・柚木沙弥郎氏とのコラボレーションによる新ファブリック「クツロギ」「ダンラン」を製品化
第4弾(2020.10.23)「木の家具の可能性」への挑戦。「美しさと座り心地の良さの両立」を追求した背板&座板モデル「SEOTO―EX100」が登場
第5弾地元企業と地元材を使ってコラボした小さなホテル「cup of tea ensemble」が高山市内に開業
第6弾(2021.8.24)社史「飛騨産業の百年 一九二〇―二〇二〇年」を発行
第7弾(2021.10.7)彫刻家・三沢厚彦氏とのコラボレーションモデル「SHINRA(森羅)」を開発
第8弾(2021.10.7)「クマヒダ」シリーズにラウンジモデルを追加
第9弾(2021.10.7)「第7號椅子」に合わせ卓子(テーブル)を追加

記念事業第1弾で発表したクマヒダ
記念事業第2弾で発表したクマヒダ第7號椅子
記念事業第7弾で発表したSHINRA(森羅)

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