ニュース2024.10.06
深澤直人氏がデザインした「HIROSHIMA」は、当時、崖っぷちに立たされていたマルニ木工を復活させた。業績だけでなく、その生産工程の変革まで促したことは知られている。日々進化を遂げている同社のものづくりを実際に工場を訪ねて見学した。代表取締役社長の山中洋氏に生産工程において心掛けていること、今後の海外展開の取り組みなどについて聞いた。工場の現場リポートは次号でお届けする。
■工芸の工業化を追求
――家具づくりで心掛けていることは。
マルニ木工は、私の祖父の山中武夫が創業して今年で96年を迎えました。創業者が掲げた「工芸の工業化」という思想を大切に守り続けています。
「工芸の工業化」とは、職人の手仕事というイメージが強かった工芸品を、機械の力をうまく使いながら工業製品として成立させるということです。どちらかに片寄りすぎないように、工芸の良さを残しながら、量産化によって手が届く値段設定を実現し、工業製品にしていこうという考え方です。
時代と人は、移り変わっていきますが、その根底にあるものは変えてはいけません。一方で、機械はどんどん進化していきます。そのバランスを追求しなければいけないと思っています。
――人とのバランスとは。
今はどこでも同じ機械をそろえることができますが、それをプログラミングの技術などを駆使していかに使いこなすか。工芸というと、現場で実際に手を動かしたり、磨いたり、削ったりというイメージが強いのかもしれませんが、私たちは、その機械をいかに操るか、どう使いこなすかということを工芸の一環と捉えています。
どのように機械を使ったら最も早く、正確に、コストをかけずに削ることができるか。それは、いかに人が考え、プログラミングするかにかかっています。そこが企業としてのノウハウであり、他社のまねできないところであり、私たちが最も大切にしているところです。従って機械は常に最新版にアップグレードしています。
■材料の選別がポイント
――新しい機械を使って、これからどのような家具が生まれるか楽しみです。
従前のクラシックな商品は、塗装を重ね、その深みの良さを出していました。深澤さんやジャスパーさんがデザインしたものは、クリアな塗装で、木の質感や木目を前面に出しています。もちろん材料の選別や見た目、デザイン、座り心地が大前提となりますが、座っていない時も、目に留まり、五感に訴えるたたずまいが重要な要素となります。特に材料の選別はとても大きなポイントです。
全く同じ表情がない天然素材を使っているので、入荷のタイミングや温度、湿度によって木の状態が変わるという条件において、最終的には同じようなものをアウトプットしなければなりません。こうした難しさや矛盾点をどのように乗り越えるかが、木で物をつくる面白さでもあります。
――「HIROSHIMA(ヒロシマ)」は、生産工程まで変えたということが知られています。
それはありますね。クラシックの椅子とヒロシマとは、同じ機械でも全く使い方が異なります。ヒロシマの方が難易度は高く、プログラミングを操る達人ともいえる技術の進化が問われます。最初は1カ月に生産できる数は限られたものだと思っていました。
変化を嫌う人もいますが、これをやらないと会社としてはもう生き残れない、次のステージに行けないというところまで追い詰められていましたから、もう強引に進めるしか道は残っていませんでした。
最初は「1カ月に30~40脚しか作れません」と現場では言っていたのですが、実際に流れ出すと、どうすればもっと正確に楽に作ることができるのか知恵を働かせて作業をするわけです。一つ一つの知恵は、本当にささいなことですが、それが1年、2年と積み重なると大きな力となり、加工のリードタイムを短縮して、今では1カ月に600脚まで作れるようになりました。ここで終わりではなく、さらに細かい改善を続けていかなければいけません。そのノウハウが彫刻的で柔らかなフォルムが特徴の「Tako(タコ)」にも生かされています。
深澤さんと初めてヒロシマを作った時は、まだお互いのことをよく知らずに「相思相愛」とはいえなかったのですが、あれから15年たって円熟期に差しかかった時に、ヒロシマ以上のものは作れないのか、これを完成形として満足していいのか、という自問自答がありました。お互いに理解し合えている今だからこそ、新しいものができると思い、開発したのがこのタコという椅子です。
■リビングを強化
――ミラノサローネ出展の経緯と現在の輸出の取り組みについて教えてください。
2009年にミラノに出展した当時、補助金には頼らず、覚悟をもって臨もうと単独出展しました。周りには「なぜミラノに出展するのか」という厳しい声もあり「アジアを狙ったほうがいいのでは」とよく聞かれたものです。
ヒロシマから始まって以来、ダイニングアイテムをかなり拡充して、売り上げの約7割まで占めるようになり、海外でも戦える材料はでそろったと思います。21年に社長に就任して以来、私が力を入れているのは、リビングアイテムの強化です。ダイニングアイテムの選択肢は増えたのですが、ヒロシマを買っていただいたお客さまに、さらに「ソファもいいね」と言っていただけることが、売り上げに結び付くことになるのです。
今年は深澤さん、ジャスパーさん、セシリエさんのリビングアイテムを中心にミラノで披露して、かなり手応えがありました。
全体の輸出については、現在は主にヨーロッパと北米向けが伸びています。北米の方が売り上げの規模としては大きいのですが、販売点数はヨーロッパの方が多くなっています。
■ビジネスはやはりミラノ
――これからも継続してミラノサローネに出展しますか。
実は今年初めてコペンハーゲン(デンマーク)の「3daysofdesign(スリーデイズオブデザイン)」の視察に行きました。私の感想は、エネルギーと費用はかかりますが、ビジネスとしてはやはりミラノかなと。その点では、まだ北欧の展示会と比べてかなりの差があります。毎年ミラノに出展する意味はあるのか、最近は考える機会も増えていますが、いまはまだ選択の時期ではないと思いました。
――日本を代表する見本市の在り方とは。
ミラノサローネは集客力、出展ブランド数で世界最大級の見本市ではありますが、イタリアの国策として、国内の企業が優先され、私たちのような国外から出展する企業は実績が問われます。いまでこそいい場所を確保できていますが、例えば2、3年に1回出すことになると、それを確保できるかどうかわかりません。そこが悩ましいところです。
ミラノに出展すると、たくさんの人に見ていただく機会は得られますが、展示終了後に商談のフィードバックのためにまた海外に赴いて、それから具体的な話になって販売につながるわけです。
ミラノに出展する時間と労力を考えると、例えば出展している皆さんと連携して、各工場を巡回するツアーを考えてもいいのではないかと思っています。日本では数多くの展示会が開催されています。それぞれテーマとコンセプトは違うのでしょうが、それを把握しきれないくらい細分化していると思います。
展示会という形に限らず、規模が小さくても、最初は有志が集まって、ディーラーさんを海外から呼んで、工場での商談はもちろん、その地域の観光や文化の紹介も含めて魅力をアピールする方が、日本を代表する見本市の第1歩として現実的ではないでしょうか。
だれもマルニ木工のことを知らず、販売のつながりがない中で、初めてミラノに出展して「日本の木工家具メーカーとして長くやっています。深澤さんという有名な方がデザインしました」と、スタンドの前を歩いている人々を呼び込んで椅子に座ってもらいました。「日本で家具を作っていたのか」と驚いて言われた時は、もうショックでしたよ。「北米やヨーロッパから木を輸入して家具を作っています」と話すと「日本は森林大国なのに、なぜ国産材を使わないのか」というご指摘もいただきました。
――工場の将来像とは。
地元の野菜やお米を使った食事ができる社員食堂をつくるといった、従業員のためになることをまず考えています。もう一つは、工場が立地する湯来という地ににぎわいをつくっていくために何ができるかを考えています。この地の山奥にある温泉を引いて、針葉樹を使ったサウナを作るのもいいなと思います。サウナは家具とも親和性がありますから。この地で頑張っていらっしゃる企業と組んで、湯来の町を盛り上げたいと思います。
マルニ木工は4年後に100周年を迎えます。こんな夢物語を100周年に向けて実現できればいいなと思っています。
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