ニュース2020.12.09
飛騨高山で40年近くにわたって家具を作り続けてきた木童工房が、代表の関西春樹さんの死去に伴い、工房を受け継いでくれる木工家を探している。2018年11月30日に関西さんが66歳で亡くなって以降、妻の多久美さんと娘の恭子さんは、工房の整理と売却を行うことを決意した。木童工房の代表作である「ビーンズシリーズ」についても、ロイヤルティーの販売に踏み切っているが、買い手はまだ決まっていない。
曲げ木の家具デザインが特徴的な産地展「飛騨の家具フェステイバル」で初めて木童工房の展示を見た。愛らしく温かみのある家具「ビーンズシリーズ」に目を奪われ、作り手の話を聞こうと思った。それが関西さんとの出会いだった。
シリーズの端緒となったのは、15年ほど前に作った関西さん自身の作業椅子だった。そら豆の形そのものを表す「ビーンズスツール」として製品化された。関西さんの語りは、素朴で飾り気がなく、ぽつりぽつりと製品のストーリーを話してくれた。それからフェスティバルの時にブースに立ち寄り、関西さんの話は時に宇宙まで及んだ。
作り手がいなくなったビーンズの今後が気になって、多久美さんと恭子さんに会って話を聞こうと思った。
■京都から飛騨へ
「あの人は顔に表情を出すような人じゃなかったけれど、『(関西さんは)京の都に行った飛騨の匠が、現代によみがえったような人だ』と言われた時、すごくうれしそうな顔をして、あの時の表情が今でも忘れられません」。多久美さんは、飛騨高山の家具メーカーの社長に言葉をかけられた関西さんの、その時の表情を思い出していた。
関西さんは1952年、京都で生まれた。実家は着物の帯の行商を営んでいたという。家は裕福だったが、父親から学費を自分で稼ぐように言われ、定時制高校に通いながら仕事をした。幼いころから京都の歴史を肌身に、いつしか都の造営に腕を振るった「飛騨の匠」に憧れを抱くようになり、76年、兄と一緒に飛騨高山の専門学校に入学して木工技術を学んだ。
二人で開業資金をつくり、79年に木童工房を創業。兄が代表を務めてデザインも手掛け、関西さんは家具作りに専念した。多久美さんが知り合ったのは、当時経営していた飲食店のテーブルを作ってもらった縁だという。94年に兄が亡くなり、関西さんが代表を務めた。兄が残した負債が重くのしかかり、装飾品を売ってしのいだ時もあったという。それでも、二人で木童工房を軌道に乗せていった。
■50種類以上の鉋
NHK・BSプレミアムの番組「イッピン」、2014年4月29日に放映された「カーブが生みだす木の表情 ~岐阜 飛騨の家具~」のなかで、50種類以上の鉋(かんな)を使い分ける関西さんの巧みな技術が紹介された。番組の中で関西さんは「人の顔も左右対称は、ほとんどない。変化があった方が素材感がわかる」と自ら鉋で削り上げた丸みのある家具について話した。「テーブルを入れると家族はそこに集まってくる。私たちの仕事は生活の道具作り。愛される道具ができればそれに越したことはない」。ビーンズの柔らかな表情は、関西さんの職人技の賜物といえる。
恭子さんも家具作りを学んだことがある。しかし「勉強すればするほど、父の作ったものを見て、私には無理だと本当に心底から思ってしまって、頑張って父を盛り立てていくのが一番だと思いました」という。
実は、ビーンズには、多久美さんや恭子さんのアドバイスが生かされている。「引き出しや彫りを入れ、脚はこうとか注文を付けると、思った通りの形ができ上ってくる。それは本当に見事でした」と多久美さん。女性に人気があるのも、こうしてリデザインされた歴史があるからかもしれない。
ビーンズ存続のために
温かさや素朴さ、懐かしさ、どこかユニークな形のビーンズの魅力。恭子さんは「縄文の土偶っぽい」と言う。「『ある程度歳をとっている男性なのに、どうしてこんな素敵なフォルムを思い付くのか』と言われて嬉しく思ったことがあります。実は私たちも、独特な愛嬌がある、こんな可愛らしいフォルムをどうして作れるのかと思っていました」
木童工房の創業当時「兄は描いた寸法も何もないスケッチをポイと渡し、それを図面に起こして作っていた」と多久美さん。関西さんのデザインは、奔放(ほんぽう)な兄の影響も受けたようだ。
■工房の担い手募る
「漆塗りも全部自分でやっていて、3日間徹夜で働くこともあって、たぶん免疫が落ちたのだと思います」。音楽や釣りの趣味も持っていたが、それに割く時間はほとんどなく仕事に没頭した。
多久美さんは、関西さんの食事に気づかい「1日に必要な食品数を盛り込んだ献立を毎日作り続けました」。ガンを宣告された関西さんの最初の言葉は「あんなに毎日気を使って食事を作ってもらっていたのに…」だった。家具を作る職人の思いがあふれ「病に伏して話ができなくなった時に、病床で鉋をひく仕草をして涙を流していたことがありました」という。
「頭を抱いて『ありがとう。さようなら。幸せだった』と話すと、力のない右手で抱っこするような仕草をしました。でも本当はさようならという感じではなく、複雑な思いもありました」
「ビーンズ」は、一人の木工職人とその家族から生まれ、ブランド化まで至った家具の稀有な例といえるだろう。継承の難しさはあるものの、その手作りの温かみを広い世代に知ってもらうために、ブランドを存続させることはできないかと思う。
多久美さんと恭子さんは、昨年から、工房の片付けを始めた。木材は立米単価を半額にして販売している。
「まだ木屑のついた鉋を見て、夫はまだ生きていて、ただ席を離れているだけだと思うことがあります。でも夫の名前を呼んでも返事はない。それでも『にやにやしていないで手伝ってよ』と叫びたくなるような気持ちになることがあります」
工房とビーンズシリーズのロイヤルティーについては、まだ買い手がついていない。「曲げ木の機械をはじめとして、今すぐにでも家具づくりできるだけのものは揃っています。とにかく関西と私たちの意志をくみ、この工房を継続する木工家が表れてくださることを切に祈っています」
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